「V6」カテゴリーアーカイブ

V6?興味ないけどうちの家族がファンだから。と言ってた自分はどこいった。








「今週のMステV6出るんだ」とか。

「今年も学校へ行こう!やるんだ」とか。

「V6、新曲出したんだ」とか。

もうそういうことを思うことはないんだなあと。

去年こういう記事を書いたばかりだったんだけど。

V6 25周年 おっさんから見たV6の25年 25周年って凄い


2021年11月1日を、別に楽しみでもない、いいことがあるわけでもないのに、でもカウントダウンしてしまってて。

最後の1週間はサンスポを買うのが日課になったり。

ライブに行かれた方たちもそうだったんじゃないかな。絶対楽しみなんだけど、絶対楽しみとも違うような複雑な。

ギリギリまで「やっぱり解散するのやめます」って言うんじゃないかとか期待してたり。まぁそんなことはないと分かってるんだけど。

もうV6っていうグループは存在しないんだなあ。と思いながら書き始めた今日11月8日。

まぁ暗いこと書いても楽しくないんで、明るく。





①我が家にとってV6とは。

去年の記事と重複してしまうとこも多いかもだから見苦しいとこもあるかもだけどごめんなさい。

自分が小さい頃から母が少年隊が好きで、いつのまにかそこにデビュー前だったのかな?坂本さんも追加されてて。

だから母にとって毎年夏に青山劇場でやってたPLAYZONEは年に一度のお祭り、最良の日と言っても過言じゃなかったと思う。

その影響からなのか、そういう血筋なのか姉は当時でいう「剛健」、森田さんと三宅さんにのめり込みV6がデビューした頃だったと思うんだけど、バレーボール観戦に行くと言い出したりしてて。

結局見に行ったのか忘れたけど、学校のバレー部の顧問に試合を見たいとの名目で試合のビデオテープを借りてV6がバレーコートで歌う映像が我が家で永遠リビングに流れてた。

妹はなにがきっかけか知らないけど当時の若い子あるあるなアイドル雑誌、Myojoとかpotato?とかを読むようになり気づけば、健くん健くん状態だった。

そんな家庭で育ったもんだから最初の頃はV6のコンサートに着いていくことも特に恥ずかしくもなかったんだけど、やっぱり歳を重ねるごとに恥ずかしくなっていくのは仕方ないことで。

男が聴くのはロックだ。バンドだ。って年頃でアイドルを聴くとかましてやコンサートに行くなんて周りの友達にも恥ずかしくて、言い訳に、姉ちゃんに無理矢理連れて行かれてとか、興味はないけど行かないとチケット代もったいないから。とか言ってたなあ。

友達みんなが高校生活をしてた頃、自分は家を出たから実家にいる期間も普通の人よりは短かったんだけど、V6が出る番組の録画や予約してるCDの受け取りを頼まれたり、家族全員がV6に関しては連携がとれてたから反抗期に突入する暇もなかったんだよね。

その頃の気持ちや関係のまま、今の歳になった気がするから、いざこざなく今仲良くいられることはV6に助けられたと感じる部分もこの歳になって思えてきて、「V6様、存在してくれてありがとうございます」っていうのも大袈裟じゃないかも。

祖父母の家が近所だったから、毎週火曜だったか木曜だったかに1人で遊びに行って一緒に飯食いながら学校へ行こう!を見てたのも凄い幸せな思い出。





②2021.11.1 LIVE TOUR V6 groove

そんなV6だから、V6最後の日はどうしても見たかった。

明らかに休める日ではなかったんだけど無理矢理月末に仕事詰めて、なんとか空け日にして当日はオンラインでの視聴だったから自宅の自分の部屋のPC前で開演を待機してた。

妻や子どもたちも、何事?みたいな感じだったけどとりあえず状況を説明し1人で引きこもり。

すごく気にはなったんだけど、事前にセトリを検索したりはしなかった。

近年の曲はあまり詳しくはなかったから昔の歌がたくさん聴けたらいいなあと。

そして絶対に楽しみではないけど、絶対に楽しみな開演。

「雨」。

まさに。

ほとんどのファンの方が晴れではないであろう、曇りだったり雨だったりな感情だっただろうし。

でもその数曲後には「太陽のあたる場所」「over」「UTAO-UTAO」と続いて、あれ?これラストライブだよね?っていうような笑顔な雰囲気。

「over」といったらもうPU-PU-PU-。いつ聴いてもいい曲。

その後、カミセン・トニセンメドレーみたいなのがあって、「Born to run」と「ジンクス」には感動した。

あの流れの中だったら「STAY GOLD」「大丈夫」と「always」「OPEN THE GATE」あたりもねじ込んで欲しかったなあと勝手な感想。

でも「Dhalia」は最高すぎました、素晴らしき選曲。

トークでも全くラストライブな雰囲気がなくて、ある意味それを全面に出したライブにしなかったことが凄いなあと。

途中、開催された会場のトークになって、V6ファンの方々は最後は代々木第一体育館で。って思った人も多かったと思う。

そんなこと全てに配慮していたらしい幕張メッセさんすげえなとおっさんはここでも感動。

もう2時間くらいがあっという間に経ってしまっていよいよ終盤かなと思った時には「Believe Your Smile」から始まる怒涛の懐かしメドレー。

そこで、おっさんは

是非、「Feelin’ Alone」を。

月曜日なんだし「雨の夜と月曜日には」を。

ジュニアの曲じゃなくてV6の曲です、「Can do!Can go!」を。

「JUST FOR YOU」を。

坂本さん、「コバルトブルー」唄ってください。ターザンの曲でもいいです。

長野さん、まだ早いけど「Lonely Holy Night」が聴きたいです。

井ノ原さん、「お前がいる」はないでしょうか。

森田さん、「FROM rain」を坂本さんとどうでしょう。

三宅さん、「WHAT’S COOL?」妹が大好きでした。

岡田さん、いつか「Truth」みたいな恋がしてみたかったです。

カミセンさん、「夏のかけら」はもう聴けないのですか。

どれか一曲どうですか、今、今、今、今、今、今すぐに!!!!!

なんかを懐かしい曲聴きながら思って、思い出してしてたんだけど、結局どれもなく。

EASY SHOW TIMEも聴いてみたかった。

でもすごい怒涛のメドレーで文句なし。

そして最後の曲。ごめんなさい、最後の曲なのに全く知りませんでした。曲名も分からずです。

そして終了。

もちろんこれで終わりではないでしょう。

そして最後に挨拶が。

ここで初めて、ラストライブなんだ。と再確認出来た気がして。

岡田さんの、「胸を張ってV6を終わりにする」ってのがまさにその通りの3時間だったなあと。

坂本さんが言われてたのとは、逆の方向からまたこの景色を見たいなあと。

そして「95 groove」。

この曲、この数ヶ月頻繁に車で再生してる曲。

そしてそれがまさかのV6最後の曲。

終了。

結構長いこと、6人の手が映る「ご視聴ありがとうございました」画面が消せなかった。

「僕らは まだ」を歌わなかったところも、いろいろ感じるとこがあったり。

やっぱりセトリを見なくてよかったなあと。

V6 「僕らは まだ」久しぶりのCD購入の話





③11月8日。

そして1週間経った今日、11月8日。

何事もなく、普通の日常を送っております。

ファンの方々からすればお前みたいなおっさんに関係ないだろ!ってとこですが、やっぱり衝撃と喪失感は大きいもので。

CDを毎作買うわけでもなく、コンサートでうちわを振るわけでもなく、部屋にポスターを貼るわけでもなく、ただ学生の頃から家族の影響でV6がどこかの部屋で流れているような家で育ち、2000年代前半くらいまでの曲はほぼ全て分かるくらい若い頃にV6漬けにされたおっさんです。

もちろん本当のファンの方々の足元にも及びません。

むしろファンと言えるレベルでもないかもです。

ただV6のファンです。

グループとして存在するとか存在しないとか関係なく、今後はV6のファンを名乗ろうと思います。

坂本昌行様、長野博様、井ノ原快彦様、森田剛様、三宅健様、岡田准一様、V6様、ジャニーズ事務所様、ありがとうございました!

これからの皆様のご活躍、をとてもとても楽しみにしております。勤続年数30年目も、35年目も。

V6、26周年おめでございます。

V6 26 , 27 , 28 , 29 , 30 , 31 , 32 , 33 , 34 , 35 , 36…..∞。







goro’s (ゴローズ) [三宅健さん(V6)]

goro’s (ゴローズ ) [三宅健さん(V6) , スプーン]

V6 「僕らは まだ」久しぶりのCD購入の話






6月。

やってきますね、夏が。

日差しもそろそろいい感じ。

今年は解放感に溢れた夏になってほしいなあと思うばかり。




①「僕らは まだ / V6」2021.06.02

んで本題。

2021年3月12日金曜日。

あえて究極、衝撃の2文字はこの記事には書きません。

驚いたとかいうより、は?え?ん?のニュース速報。

V6を愛してやまない実家の女家族。今はみんなそれぞれの家庭があってバラバラに住んでて、連絡取り合う時はほぼ冠婚葬祭時のみに活用する実家のグループLINE。

メッセージを送ったところ既読3、返信0。

しばらく時間が経って姉から「ファンクラブメールで知ってる、空気読め」と。

まるで学生時代に怒られていた時のような口調で。

友達であろうが仲間であろうが仕事であろうが全てが楽しいわけじゃないだろうし、ライバル視もするし、人が多ければ多いほど合わないとか癪に触るとかって一瞬でも思ってしまうことはあるだろうし。

V6 25周年 おっさんから見たV6の25年 25周年って凄い

いろんなこと書きたいけど、以前この記事にも書いたように、やっぱり男同士で25年とか26年一緒にやってきたって本当凄いことと思うんよね。25年よ、デビューの時に産まれた子はもうアラサーよ。凄すぎるよ。

まあこれは、一般のおっさんの価値観や考えだから実際のところは解り得るはずがないっていう予防線ははっとくけど。

そんなおっさんとしては「V6」っていうグループとしてのカタチは残って欲しかったなあと。1〜2年に一回「学校へ行こう!」で集まったりとか。ど素人考えでごめんなさい。

ただこれから約5ヵ月、自分は今まで以上にV6が出てればTVを見るだろうし、録画予約もするだろうし、11月1日にファンの方はもちろん、世の中の人たちがまだやっていいじゃん、もったいない、残念と思うようなV6を見れるような5ヵ月になるんじゃないかと思うとそれはそれで楽しみでもある。

そんな中での今回CD発売。

「僕らは まだ」よ。

聴いた人や歌詞を見た人は解ると思うけど、まさにな曲。

アイドルって自分にはやっぱり異次元の空間の人ってイメージがあって、輝かしい世界にいて満たされててっていう勝手な空想の中、作詞はV6ではないけど、アイドルでも人間だしこんな気持ちを持つんだという再認識。

いい曲っていう感想はもちろんあるんだけど、自分の中の感想として重要なのがそこじゃなくて何と表現するか難しい、と、よく言ってることわからないかもだけどそんな感じ。


そして3曲目の「95 groove」って曲がとてもいい。今時っぽくもあり、90年代後半ぽくもある音。自分の中でのV6のイメージ。

自分の中でV6が一番濃かった時代はやっぱり90年代で、母は坂本さんのコバルトブルーに聞き惚れて、姉は剛健剛健、妹は健くん健くん、TVを見れば、毛利元就で、保健室のオバさんで、金狼で、D×Dで、少年オカダで、ウルトラマンティガで、ハンサムマンで、サイコメトラーEIJIで、ターザン歌ってて、PU-PU-PU-で、学校へ行こう!で。まだまだある。

たぶん学生当時の学年でトップ3に入るだろうくらいはV6の曲を聴いて、聴かされて生きてたと思う。

5ヵ月後にはグループとしてのカタチはなくなってしまうのかもしれないけど、やっぱり自分のその各々の時代の記憶は忘れないし、歌を聴けばその頃の自分や出来事を思い出すだろうし。

反抗期ってのがいつかあんまり覚えてないくらいV6のTV予約や物の購入を頼まれて、大袈裟だけど家族を繋いでもらってたことに存在が協力してもらってたことは間違いなくて、ありがとうございます。と大人になった今だからこそ思うし。

スッキリはできないかもしれないけど、11月1日まで今まで以上にV6をチェックするだろうし、今後ラストコンサートみたいなのがあるのかも分からないけど、この今の世の中で無事に11月1日を迎えてもらいたいなあと勝手におっさんは思ってる。

V6様、ありがとうございました。

これからも楽しみにしています。

っていうおっさんの日記でした。

それでは皆様お身体お大事にしてください。

今日がいい日になりますように!






V6 25周年 おっさんから見たV6の25年 25周年って凄い








V6と我が家

トップ画はV6が20周年の時に渋谷駅に貼ってあったポスター。もう5年も経つのか。

女ばかりの家庭で育った自分は友達が兄弟と遊んでるのが羨ましかったし、お兄ちゃんのおさがりのNIKEのダンクとかジョーダンを履いてる友達が羨ましかった。

自分が姉妹に教えてもらったことはファッションなんか1つもなくて、V6へのリスペクトとジャニーズ関連のことばかり。10代の頃一緒に遊び行ったのはディズニーランドとV6・カミセン・トニセンのコンサート。ファンクラブで4枚買ったりしてて母含め4人で。思春期真っ只中だったから行きたくなくて恥ずかしくて。場所も代々木体育館や横浜アリーナだったから友達に見られるんじゃないかヒヤヒヤして深く帽子かぶってた記憶がある。制服のままでは絶対行きたくなかったから早退したりして私服に着替えて。

コンサートからの帰り道は3人から「余韻に浸りたいから顔見せないで」と言われながら。

うちは坂本さん、森田さん、三宅さんのファンで母は少年隊と坂本さんのファンでPLAYZONEに行ってた。姉はV6がデビューする前から剛健、剛健言ってた。妹はよくわからないけどいつの間にか健くん、健くん言ってた。

ただ3人が口を揃えて言ってたことは、「V6っていうグループで好き」ってこと。その頃から自分は不動の広末涼子さんなんだけど。

だから自分はファンてわけじゃなかったけど、V6の曲はほとんど知ってたし、今もある程度歌詞がわかる。今考えればもうファンだったのかも。

当時はテレビにテレビ表が映る時代ではなかったからザ・テレビジョンや新聞見てV6が出るのは録画とかさせられてた。ひどい時はコンサート初日翌日のワイドショーやいつ放映されるかわからないCMまでも。ビデオテープだったから編集もできなかったし、今考えれば苦痛な労働だったけど結構楽しんでた。逆に録画忘れてたら、「使えない」「消えて」なんかの罵詈雑言を浴びせられてたけど。

そんなV6が今年で25周年らしい。高校生だった姉がバレーボールを友達と見に行くと言ってて何事かと思ったら剛健が来るからとのことで、それから25年も経つんだなあ。

男から考えて思うのは男同士6人で25年て単純にすごいなって思う。友達としても仕事仲間としてもどんな形でも頻繁に顔を合わせて25年て自分ならしんどい。全員が自分が1番だ!って気持ちでいたら絶対続かないだろうし、25年もあったら絶対別の道に進みたくなる野望も出てくるだろうし。まぁ個人的な考えで、自分みたいなおっさんが25年も光の当たる舞台に立ち続けてる人達の気持ちを分かり得るはずがないんだけどね。ファンの皆様、知ったような口を叩いてすみません。

そんなこんなで今回の記事は男の自分が知ってるV6情報をちょこちょこと。ファンの皆様なら、そんなこと知ってるわてことばかりかもですが。男性にも当時の隠れV6ファンがいるはずなんで是非。




②おっさんがよく聴いたV6の曲

  • Can do! Can go! (1998年)

これはジャニーズJr.とかも歌ってたりしてアルバム曲だけど知ってる人多いはず。

うちの家族は「これはV6の曲だ、なんでV6の方が歌う回数が少ないんだ」とお怒りだったけど。

一時期、具合が悪くなるほどこれを歌ってるV6の映像が家でリピートされてた。なんの番組だったのかな、なんか青い衣装を着たやつ。女3人が時間バラバラに見るもんだから結局夜になるとずっとかかってて、「今のマイクの持ち替え方がいい」だとか「衣装の着崩し方がいい」だとかそれぞれにどうでもいいような感想を言いながら巻き戻し、再生、巻き戻し、再生、、、。だから自分の中ではV6で思い浮かぶ1番最初の曲かも。

個人的には夢は叶うって表現じゃなくて夢は輝くて言い回しかっこいいと思ってた。



  • 雨の夜と月曜日には (1996年)

当時中学生くらいだったのかな。大恋愛したこともなければ大失恋もしたことないのになぜか姉から借りたアルバムのこの曲をカセットテープに入れて聴いてた。

たぶん大人の恋愛に憧れてたんだろうね、当時のことあんまり覚えてないからなんでこの一曲だけカセットテープに入れてたのかも謎。その名残りで今もiPhoneに入ってる。



  • 晴れ過ぎた空 (2005年)

この頃はもう家を出て独り暮ししてたんだけど、宮藤官九郎さんの「タイガー&ドラゴン」にハマってて、エンディングの曲がV6の「UTAO-UTAO」だったんだよね。

もう家でV6、V6騒ぐ人達からも解放されたからV6から遠ざかってはいたんだけどこのドラマの主題歌が好きでTSUTAYAでレンタルしたら、B面のこの「晴れ過ぎた空」がいい!と聴くように。



  • EVERY DAY / Coming Century (1997)

姉の誕生日に買った記憶があるんだけど、やっぱりファンだから買っててうちに2本あったビデオテープに収録されてた曲。

このちょっと前くらいに自分がゴローズに通うようになって、たまたま姉が再生してたこのビデオ一緒に見たら三宅さんがゴローズだらけだったんだよね、あとビンゴブラザーズのウエストバッグ着けてたり。

自分がゴローズにハマったのは先輩の影響で三宅さんではなかったんだけど、三宅さんがゴローズをしてるって知ったこの時期くらいから妹が買ってたアイドル雑誌を回し読みさせてもらってた。

当時ゴローズが載ってる雑誌てほとんどなかったから凄い勉強させてもらった。



  • Born to run / Coming Century (1996年)

我が家のV6ファンの3分の2がカミセンファンだったからこの曲に限らず「Theme of Coming Century」「大丈夫」「WHAT’S COOL?」「LOOKIN’ FOR MY DREAM」とかこの記事を書くにあたってタイトルは調べたけど、曲はほとんど知ってた。

ほとんど我が家のどこかの部屋で再生されてた曲。

「WHAT’S COOL?」は妹が健くんが作った曲て言ってた記憶があったけど、作詞をされてたんだね。

あと「スキさすっきゃねん」って、「空も晴れたよ、出かけようか」みたいな曲だったはず。



  • JUST FOR YOU (1998)

詞の中に「携帯を握りしめて」ってのがあったんだけど、当時携帯とか持ってないし、むしろピッチやベルで携帯って言葉を使ったことがなかったくらいだったから大人はすげえなって思った記憶がある。

むしろ携帯電話てどんくらい普及してたんだろ、こうなるとピッチが携帯電話てことなのかな。



  • Timeless (2015年)

いきなり年代飛んで2015年。

なぜかっていうと、まさかの娘の影響。娘の方が、Eテレよく見てて小学校入ったくらいだったのかな、手話の番組を真剣に見てて感心したらまさかの三宅健くんがカッコいいからと。

妻からアイドルの話を聞くことはほぼなくて好きな芸能人は竹野内豊さんとかサンドウィッチマンとかだからこのDNAは完全に我が家の責任です。

あれから5〜6年経つけど今も変わらず好きな芸能人は三宅健くんと山田くんだそうです。

そんで久々にこの曲聴いたり見たりしたら三宅さんのゴローズが若干復活してて、娘連れてジャニーズショップに行ったら三宅さんが彫りの入ったブレスと赤ビーズをブレスにしてる写真のアップのやつが売ってて、娘が買うんですオーラを出しながら買ってしまったって思い出。



まだまだあるけど長くなるんでこの辺で。アルバム曲がほとんどになってしまい、この記事書いてるおっさんだいぶ気持ち悪いね。

ただ聴き返してたら凄い懐かしい気持ちになって当時の実家とか思い出した。

母は「MIRACLE STARTER -未来でスノウ・フレークス-」と坂本さんソロの「コバルトブルー」を確か推奨してた。




おっさんが観たV6メンバー出演ドラマ・映画

  • PU-PU-PU- (1998年)

このドラマに関しては自分の中では伝説。

家族が見てたのを2話くらいから見たんだけど注目すべきは三宅さんの衣装。

毎話ほぼ「A BATHING APE」。当時エイプってほとんどが売り切れで買えなくて雑誌でしか見ることできないてデザインがほとんどだったんだけどドラマ内で着用されてるのが当時のレア物ばかり。

森田さんはゴローズしてるし、三宅さんは当時でいうイカリング、今でいう革ブレスやベルトしてるしで衣装に大興奮。

また主題歌の「over」がよかったんだよね。

出演されてる方もお父さん役やお母さん役が豪華で、ドラマの内容も面白いから見たことない人は是非。



  • 木更津キャッツアイ (2002年)

池袋ウエストゲートパークで宮藤官九郎さんのファンになって、これは初回からリアルタイムで見たやつ。

ぶっさんは岡田さん以外有り得ないてくらいのハマり役で、自分の人生の中でもハマったドラマの上位の作品。

見てない人がいるのなら是非是非。あとは「タイガー&ドラゴン」も。




  • 銀狼怪奇ファイル (1996年)

堂本光一さん主演で三宅さんと井ノ原さんが出演してた作品。

学校でもめちゃくちゃ流行ったやつ。土曜の夜に放送してたんだけど、月曜日はこの話に花が咲く感じで。主題歌の近藤真彦さんのミッドナイト・シャッフルも流行ってカラオケとかでよくみんな歌ってた。

まさか、金狼がこいつだったなんて、、、っていう最終回。

これDVDとか出てなくてね、たしかVHSは出てたと思うんだけどまだ置いてるレンタルショップとかほぼないんじゃないかなあ。



  • ハンサムマン (1996年)

これは我が家の女性陣が見てたというより、1番自分が見てたドラマ。

長野さん主演で、長野さんがいやらしいことを考えると松村邦洋さんに姿が変わってしまうってやつ。

これの主題歌か何かがカミセンでその部分だけ録画させられてた記憶がある。これもたぶんDVDとか出てないんだよね。


  • 大河ドラマ 毛利元就 (1997年)

自分が大河ドラマが好きで秀吉とかも全話見てたんだけど、これは毛利元就の青年期を森田さんが演じた作品。

自分は大河ドラマが好きで見てて、森田さんが出てる間は姉も一緒に見てたのに森田さんが出なくなってからは見なくなりチャンネルでよく喧嘩してた。テレビ1台しかなかったからね。




  • D×D (1997年)

この頃の土曜21時のドラマは本当面白かった。

金田一少年の事件簿、サイコメトラーEIJI、ぼくらの勇気未満都市、君といた未来のために、透明人間、さっき書いた銀狼怪奇ファイル etc… もうジャニーズのためのドラマ枠じゃないかってくらい毎クールジャニーズ事務所の誰かが出てた感じ。

これは長瀬智也さんと岡田さんの主演で、これもたぶんDVD出てないはず。


  • 新・俺たちの旅 (1999年)

これは家族みんな見てたけど、自分は反抗期だったのかなんなのか見た記憶があまりない。

ただ「太陽のあたる場所」って主題歌はカセットテープだかMDだかに入ってた記憶。

チューヤンさんが出てたよね、たしか。

この時おしゃれカンケイにカミセンが出演してて三宅さん私物公開みたいなのがとにかく興奮した。エイプ やゴローズ。奇跡的に妹がまだビデオテープ持っててこの間見たけど今見ても興奮。

大人になって見てみようと思ったらどうやらVHSでもDVDでも出てないみたい。


  • ヒメアノ〜ル (2016年)

年代飛びますがこれは古谷実さんの漫画で読んでたんだけど、それの実写版。

漫画とは若干違ったけど、これは何とも言えない作品。

こういう主人公を絶対肯定はできないんだけど、なんかね。

その何とも言えない部分と、そう思わせる森田剛さんの演技が素晴らしすぎ。

んで森田さんが森田くん役。濱田岳さんが岡田くん役。

オープニングクレジットも映画の中盤で流れてまさに森田が本性を出すって感じで。

ただね、肯定は絶対できないんだけど変えてしまったのは何だったのかていうとこね。

麦茶。白い犬。すごい深い映画だったなと。

結構ハードなシーンが多いからご注意を。

これはいじめられてる子じゃなくていじめることに加担してる、見て見ぬ振りしてるって自分に思い当たるところがある子に見てほしい映画。

これを見てなにも感じないのなら言い方は悪いけど救いようがないと思うよ。

自分がやってることがどういうことに繋がるのかっていういろんな可能性を考えられる頭くらい持っとかないとね。

逆の立場の子におっさんが言えることは、自分が自分でいられなくなる場所には行く必要はないってこと。

簡単に言うなって思うかもだけど、前にも書いたけど令和の日本の小中高生に命をかけて行かなきゃいけない場所もやらなきゃいけないこともたぶんないよ。

そんな中最近のおっさんが気になった曲がこれ。t-Aceさんの「ココではないドコか」。

V6全く関係ないけど、この映画思い出して熱くなってしまった。

ココではないドコか / t-Ace おっさんの感想文



と、まぁ家族の影響だったりでいろんなドラマ見てきたけど結構V6のメンバーの方々が出演されてる作品は名作が多い。

他にも「保健室のオバさん」「恋愛偏差値」「タイガー&ドラゴン」とかあってDVD化されてないものも多いけど、懐かしいと思った方や見てない方は是非是非。




おっさんが影響されたファッション

自分世代の裏原好きで三宅さんと言えばみんな納得するレベルだと思う。

自分はゴローズが好きだから自然とゴローズネタになっちゃうんだけど、なんかしらのゴローズの物を着けてTVやメディアに出たランキングを作ったら断トツで三宅健さんが1位と言っても過言じゃないんじゃないかな。たぶん今もブレスとか着けて出られてると思うし。

90年代後半くらいかな、世間では木村拓哉さんがファッションリーダーていう感じだったんだけど自分の周りは三宅健支持者がかなり多くてね。ゴローズで見たって先輩もいたり、ゴローズ好きなら分かるけどとにかく当時から持ってるものや量が凄かったし、着けこなしてた。

テレビに頻繁に出る人で結構長い期間ずっと革ブレスつけてた人もなかなかいないんじゃないかな。

とりあえず三宅さんのゴローズのことに関しては長くなるのでゴローズカテゴリーに書いてます。

気が向いたら見てやって下さい。

結果、三宅さんのことばかりになっちゃったけど、それくらい当時はファッションが凄かったてことで。





⑤学校へ行こう

若い頃いろいろあってこのタイトルが嫌いだったんだよね。反抗期てのもあったんだろうけど。

でも毎週見てた。

ばあちゃんが少年オカダが大好きで火曜日だったか木曜日だったか忘れたけど放送日はばあちゃん家にたまに行って一緒に見てた。

岡田さんが日本アカデミー賞を取った時も「少年オカダは立派になったねー」とまるで近所の子かのように言ってた。ファンの方ごめんなさい。

今はタイトルが変わって「V6の愛なんだ」になってるけど毎年子供達が見てる。自分も録画したりして見てるけど今年も11/3(火)19:00〜放送らしく楽しみ。

同世代の子はほとんど見てるんじゃないかってくらい人気の番組だったんだよね。





⑥V6 25周年

長々と書いたけど、もうここまで必死に書いてたらファンだね。

本物の応援してるファンの人には失礼だけど、おっさんもファンの1人ってことで。

V6のホームページを見たら「勤続25年の男たち」て書いてあって、アイドルらしくないとも思ったんだけど、やっぱり勤続25年て凄くてデビューする前から仕事として活動してきたわけだろうし、街を歩けばほとんどの人が自分を知ってるっていう世界で生きるって、一般人の自分からは想像もつかないほどストレスなのかもしれないし、全く理解することはできない領域。

でも若い頃、自分の家族を楽しませてくれていたことの半数は間違いなくV6で、大袈裟だけどそれで家族のコミュニケーションも取れてた時期もあって、V6というグループには感謝どころではすまないかもしれない。

今はみんなバラバラに暮らしてるけどそれぞれにファンを継続中だしね。

自分はコンサートに行ってうちわやポスターを買ったわけでもないし、CDやDVDを買い揃えてるわけでもないけど、これも1つのファンの形ってことで。

これから30年、40年と誰も欠けることなくながく続いてほしいグループだと真剣に思う。

11/1(日)には25周年LIVEが配信されるらしい。チケットは有料なのかもだけど、仕事がなけりゃ見てみたいなと思ってる。

それでは長くなりましたが、皆様お身体お大事に。

今日がいい日になりますように!








goro’s (ゴローズ ) [三宅健さん(V6) , スプーン]







 

今期ハマってるドラマの1つは「テセウスの船」。TBSの日曜劇場のやつ。

これは少し前に漫画で読んだから結末を知ってしまってるんだけどドラマはドラマで面白い。

さつき先生が年老いた後とかとても漫画に近いし、噂によると漫画とは結末が違うらしいんでますます見逃せない。


幼い頃は祖父や祖母はどうして大河ドラマを日曜20時に見るんだろうとチャンネルを変えたくて仕方なかったけど、おっさんになった今、今期は録画した大河ドラマからのテセウスの船が日曜の流れ。

んで真犯人は誰なんだろうか。

なんらかの理由で過去に戻った心さんっていうぶっ飛んだ展開も期待するんだが、さすがに日曜21時にそんな人間不信になるようなことはしないか。



そんで本日の本題。

以前書いた三宅さんのイーグルの記事、たくさんの方が読んでくれて実際に三宅健さんがgoro’sで撮影されてた雑誌を見せて頂いたりありがたい限りです。

goro’s (ゴローズ) [三宅健さん(V6)]

んで今回はスプーンについて。

これは比較的ゴローズでも手に入れやすい商品。

自分の周りのゴローズファンはほとんどの確率で持ってるんだけど買った時期によって彫り方とか深さが全然違うの。

自分のは結構深い方なんだけど、周りの皆の形はある程度同じだから一時期パチモン疑惑立てられてた。

買ったのは96~98年くらいだったはず。

裏の1984はなんか意味があるんだろうけど自分は知識なし。

妹がジャニーズファンだったから90年代後半から2000年あたまくらいまで結構アイドル雑誌を見させてもらってて、それまで赤ビーズ、イーグル、爪バングル、指の8割くらいリングつけて髪は外ハネ、デニムにブーツのバチバチのゴローズだった三宅さんが2000年過ぎくらいからスプーンと平打ちブレスばかりの大人ファッションというかゴローズファンとしてはおもしろくないスタイルになってしまったんだよね。

純粋なファンの方すみません。




自分の記憶が正しかったら妹に見せてもらったV6の写真集?かなにかに三宅さんの犬が出ててこのスプーンをつけてた気がするんだよなあ。曖昧な記憶だからハッタリかもだけど。

んで今回も三宅さんがつけてたスプーンを再現することに挑戦。

使うのはこの子たち。

長いこと使ってない昔のチェーンだから黒ずんでて汚いのはご了承ください。

実際太角なのか太丸なのかは知らないんだけどたぶんどちらかのはず。

個人的には太角の方が合う気がするんで今日は太角で。

自分らの時代はほんと革紐ばかりでチェーンてほとんどいなくて、藤原ヒロシさんや金子賢さんが雑誌なんかでゴローズを紹介し始めてくらいから徐々にかな、並んでる人らも当時で言うegg系?みたいな人らのファッションが減って大人のオシャレさんが増えたんだよね。

ジャラづけからシンプルなチェーン組みが多くなったし。

その頃先輩が当時の雑誌のストリートジャックのゴローズ特集にちょっと載って羨ましかったなあ。





んで大人の工作の途中経過。

丸カン使ってのこれだけでも全然あり。

NEIGHBORHOODの島菜有さんがこのイーグル部分がローズになってるのをSNSに載せられてたんだけどめちゃくちゃカッコよかった。

三宅さんはスプーンにホイールっていう当時見かけなかったような気がする組み方だったんで以前にもこのブログに書いた若い頃から何度も練習したこれで。

goro’s (ゴローズ) [メディスンホイール結び方 1]

チェーンを通して完成。

スプーンはネイティブアメリカンの中で、産まれた子供に持たせると一生食べ物に困らないとかって話があるらしい。

うちの子たちには持たせなかったけど大丈夫かな。

うちの子たちはこのスプーンをセミという。

三宅さんの手話の番組もよく見てる。そこでこの人若い頃は父ちゃんと同じのをもっといっぱいつけてもっとチャラチャラした感じだったんだよと言うが信じない。

挙句の果てに俺よりも年下だと思ってる。残念ながら父ちゃんの方が年下なのです。さすが奇跡の40歳。

あ、ファンの方チャラチャラて言ってすみません。

以前、街でお見かけしてすれ違った時に全金のスプーンをされてるように見えたんだけど見間違いかな。

かなりキラキラしてたから新しい金だったと思うんだけど。違ったらすみません。

その後に雑誌とか見たけどそういったのをつけてる記事はなかったんで見間違えかもです。

むしろ全金のスプーンがあるなら是非とも次回のゴローズ大全に登場してください。

自分はこういう組み方したことなくてカギとかにつけてたけど普通にかっこいいね。

ゴローズに完成はないと思ってるんだけどこれは完成されてる感じ。




てことで大人の工作終了。

最近はチェーンが長いと切ったりする人らもいるらしいけど自分らの頃はこうやってた。

丸カンも全てゴローズで揃えるのが正解なんだろうけど自分らはモロくなったら東急ハンズ渋谷店で買ってた。

ゴローズには金かけたけど実際は貧乏アルバイトだったしね。

ちゃんとシルバーの丸カン選べば違和感もないし特にゴローズでも何か言われたことはない。ただ気になるのは元のとは大きさは若干違うてことくらいかな。

話は逸れたけど、是非ともまた三宅さんのゴローズをテレビや雑誌で見たいものです。

今回思い出して気になるのは、三宅さんは全金スプーンをもっているのか。スプーンは昔三宅さんの犬がつけてたものなのか。ってこと。

一昨日明治通り歩いてて通過しただけだけど、コロナだろうが寒さだろうが相変わらずゴローズ抽選の並びは凄まじかったです。

V6?興味ないけどうちの家族がファンだから。と言ってた自分はどこいった。

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goro’s (ゴローズ) [三宅健さん(V6)]







 

今日はgoro’sの思い出について長々と。

自分がgoro’sに通い始めたのはかれこれ20年ほど前。いや21?22?

まぁそんなことはどうでもいいか。

当時はクロムハーツやレナード・カムホートが人気で、著名な方やヴィジュアルバンドの方はだいたい何かしらのアイテムを着けてたなあ。

今現在は雑誌やTVでgoro’sを着けてらっしゃる方を多数見かけるけど、当時はなかなか見かける機会は少なくて、goro’sを着けて頻繁にTVや雑誌に出ていた三宅健さんや金子賢さんが雑誌に出ているとよく立ち読みしてた。ゴローズ大全にも出られた木村拓哉さんも当時はクロムハーツやレナード・カムホートの方が多かったように記憶してる。

そして今日は三宅健さんについて。

記事を書きながら当時着けられていた「あのイーグル」の再現に挑戦。

使うのはこの子たち。

初めて自分がgoro’sを着けてらっしゃるのを見たのは、ミュージックステーションだったはず。96~97年くらい。確かフェザーとスプーンを赤ビーズとチェーンで。

当時の自分は上金と財布しか持っていなかったから、同い年くらいのアイドルに勝手にライバル心を燃やしてた。

それから1~2年するとフェザー3枚とイーグルを着けてまたもミュージックステーションに出ているのを見たときはもう敵わない、敵わないどころか憧れにすらなってね。

当時、妹が読んでいたミョウジョウ?っていうアイドル雑誌を借りてgoro’sの組み方なんか勉強してた。

それからしばらくするとイーグルに銀爪が付いて、いつの間にかそれが金爪になってて、もうガキのgoro’sファンからしたら神。

そのころ流行だったAPEやSTUSSYのハットなんかも着てらしたから、結構影響された1人のガキだった。

先輩から「三宅健がgoro’sで撮影してたらしい!!」という嘘か本当か分らない話を聞かされて、当時はインターネットはほとんど普及していなかったから確認することもなくいつのまにか忘れてたけど数年前にふと思い出して検索してみたら本当にWINK UPという雑誌にgoro’sでの写真が掲載されていたらしい。これは本当に見たい、いまだに見れてません。(2017.11現在)

[この後、ご縁あってこの記事を読んで頂いたとても親切な方から見させてもらうことができました。まさにゴローズ。まさに当時の三宅健さん。でした。本当にありがとうございました。]

またこの記事を機会に「三宅健さん、ゴローズ情報」を教えてくださる方もいらっしゃって、にわかV6ファンのおっさんとしては嬉しい限りです。本当にありがとうございます。

それからしばらくするとスプーンばかりを着けてらしてgoro’sでも比較的に手に入りやすい商品だからgoro’sファンとしては違うのを見せてくれ!!という思いだったけどあの時代とか流行とかに関係なく常にgoro’sっていう姿。本物のgoro’sの姿だったね。

最近TVでよく見かけるような、goro’s着けてるけど、ん?これどうやって手に入れたの?あなた何歳?みたいな著名人にも見習ってもらいたい姿。

ここ最近は首にgoro’sは着けてらっしゃっらないようだけど、ただブレスらしきものをよく見かける。

自分みたいな一般人は高い買い物をしたらだいたい一生物になるんだけど、あの輝かしい世界にいても20年以上goro’sを着け続けてる。

TVに出られている方でこんだけ長い期間、常にgoro’sなのは自分が知る限り三宅健さんくらい。他の業界の方にはたくさんいらっしゃるけど、あの流行がめまぐるしく変わるTVの世界では他に思い当たらない。

そんな自分の自慢は、この20年で10回以上街中で見かけたことがあるってこと。

イーグルを見たことはないけど、去年見かけたときには金のスプーンらしきものを着けてらっしゃったんだけど、なんせ人見知りな上に声をかける勇気なんてないのでひたすら横目で偵察。

次回もし見かける機会があるのなら、、、まぁまた気付かぬふりしてチラチラ見るのが精一杯だろうね。

そんなこんなでやっと完成。

イーグルも当時7~8万したんだけどこの金の爪も片方だけで同じくらいの値段したんだよね。

goro’sファンの方なら解ると思うけど、爪ってカッコいいんだけどなかなか組み方に困る。

最初自分は片方だけフェザーと重ねて革紐で組んでもらって、もう片方はそれだけを目標にgoro’sに通ってた。当時は並べばお店には入れたから真冬に3~4時間並んだのに何も買わずに帰ることを繰り返してたね。

今と違い金のアイテムはいつ行ってもある程度あったけど片方の爪がなかなか出てくれない。聞く限りオーダーでもないし、結局1年近くかかった。

かといってこの写真の組み方では外を出歩いたことはない、なりきりみたいで無理。




よくイーグルはどうやったら買えましたかと聞かれるけど、特になにもしてない。

交渉したり、ひたすら買いまくれば売ってくれるお店じゃないしね。ただ、ひたすら通った。お前ちゃんと仕事行ってんの?て言われるくらい通った。ちゃんと働いて通った。

10代のアルバイトだった自分が、成人して、仕事をして、税金を納めて、、、それなりに時間はかかったけど。

言えることがあるとすれば、自分は最初買えたのは、小イーグルだった。結果1番大きなイーグルを手に入れることができたけど、じゃあ小イーグルはもう着けないの?っていうそんな感じ。

人間は首回りは一箇所、手首は多くても二箇所。一生大事にしようと思う物がそんなにたくさんいるの?御守りっていうけど御守りを家に飾っとくの?ってよく言ってることが解らなくなってきたけどgoro’sに通われてる方なら解ると思う。

だからブレス(バングル)なんかをたくさん持ってる方を見ると、え?全部goro’sで頼めたの?と思ってしまう。

って、話はそれたけど三宅健さん。

男から見てカッコいい。

顔とか容姿はもちろんだけどその同じ物を着け続ける心。

世の中流行があるから「好きだから」で着け続けられる人ってなかなかいないと思うしカッコいい物が出ればそっちを着けたくなるのが当たり前。

だからこそ自分としては三宅健さんはまさにgoro’s。

そんな自分はたぶんgoro’s同期生のはず。あ、ファンの方々こんなおっさんとひとくくりにして申し訳ありません。許してください。

また「あのイーグル」が見たいね。

そしてもしゴローズ大全vol.4が出るのであれば、是非、三宅健さんを!!

それでは皆様、おやすみなさい。

V6?興味ないけどうちの家族がファンだから。と言ってた自分はどこいった。

goro’s (ゴローズ ) [三宅健さん(V6) , スプーン]

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